春分の日・聖書の学びの会


2020・3・20(金)

今朝のお目覚めの名曲は、オケをバックにチェロで壮大な“永遠の神の都”。
この曲を初めて聴いた時、なんと厳かで素晴らしいと思ったことか。
ピアノ伴奏で聴いた時と、オケで聴いた時とではその感動が違った。

先生のアルバムに同じ曲がダブっているものは殆どないけれど、“鳥の歌”とこの曲かなあ。
でも伴奏が違うからダブりとは言えないのかも。
やはりオケは重厚な感じになる。

初めての沼津でのチェロコンサートで、どうしてもマロットの“主の祈り”で始まり“永遠の神の都”で終わって欲しいと思っていた。
“主の祈り”という曲はピアノ伴奏がとても難しいと言われたけれど、どうしても祈りに始まり神の都で終わりたいという構想は捨てられなかった。
先生もピアノ伴奏の直子さんも見事に私の願いに答えて下さった。

忘れられない感動のコンサートだった。
だからこの曲を聴くといつもあの時の感動が鮮明に蘇る。
この素敵な曲は昨年暮れの加須市のクリスマスイブ音楽礼拝の時にも聴くことができた。

今朝はいつもより少し早く起きて、久々に娘の洗濯物を干した。
暖かかったのだもの。昨日の雨風は嘘のように晴れて、富士山が真っ白でとても綺麗だった。
雲南黄梅やラッパスイセンなど黄色いお花が春らしい。元気が出るかな。

今日は月2回の聖書の学びの日。しかも最終回。何としても行かなければ。
1年間、聖書の学びの日はほとんど良いお天気の日が与えられ、楽しく聖書のみ言葉を学ぶことができた。
私の様に怠け者で不信仰な者には、家で一人聖書を読み深く理解をするなんて、到底できない。

尊いイエス様の教えもただ通り一遍に読み過ごし、私は神様ではないから出来ないは〜と不遜な思いをして来た。
今日の聖書の箇所はルカ伝から、『敵を愛しなさい』。
出来る?最も難しい事だろう。ただ文章として読み過ごして来たこのみ言葉。

“自分がして欲しいと思うことを他人にもしてあげなさい”このみ言葉は黄金律と言われるのだそうな。
このみ言葉は理解できるけれど、汝の敵を愛せよ〜は難しい。
でも、今日牧師はイエス様を見なさい、イエス様は私たちの罪のために十字架かにかかって死んで下さった。

そして、神様、あの人たちは何をしているのか分からないのです彼らをお許しくださいと、とりなしの祈りをされた。
イエス様をみなさい〜目から鱗であった。
そうなんだ、み言葉に学ぶと言っても、傲慢で頭の固い私にはこのように易しく難しいみ言葉を説き明かして下さる牧師が居てこそ学び取ることが出来るのだと思った。

今日は大好きで信頼してついて来た牧師先生の最後の聖書に聞き祈る会だった。
4月から遠くの教会に行かれると言う。
寂しくて、辛い学びの日だった。でもまたいつの日か先生と学び祈り歌い語り合う日が来ると信じて。

いつも讃美歌を歌い、新しい歌を教えていただき、皆んなで祈り、交わり語り合う。
礼拝に来て、説教を聞いて終わったら話もせず帰宅する教会生活の何処が楽しいか。
矢張り皆んなで和気藹々と交わり祈りの連鎖〜アカペラでも大好きな讃美歌を声を合わせて歌うことは神を賛美する事である。

私の好きな讃美歌はもちろんフィンランディア、輝く日を仰ぐとき、主よ終わりまで、などみんな好き。聖歌はもっと好き。
黄原先生のチェロで聴く讃美歌はまたまた素晴らしい。
大宮の礼拝で“キリストには変えられません”を演奏された時は本当に痺れてしまった。

沼津のコンサートでも演奏してくださったが、この賛美歌が好きで、よくこの学びの会でも歌って来た。
この暖かい交わりと学びの会は我が教会の宝であるとさえ思っている。

コロナで大変な時でも、これほど素晴らしい聖書を学ぶ会に集い、歌い神様を賛美し、牧師ご夫妻をねぎらうことができて、この素晴らしいお天気と暖かいひと時を与えてくださった神様に感謝した。
昨夜遅く帰省しても今朝早く送ってくれた娘に感謝。帰りも迎えに来てくれた。

今日は春分。寒さ厳しい冬から暖かな希望溢れる春となる季節の分かれ目の日。
1年で昼と夜の時間がほとんど同じ長さであると言う。
この麗らかな季節、たくさんのお花たちが咲き競い、特に花の中の花といわれる大きな牡丹の花が咲く。

それでこの花に因んで牡丹餅を頂く風習がある。
またこの日を挟んで7日間を仏教の世界ではお彼岸と言うが、牡丹餅はお彼岸の食べ物と幼い頃には思っていた。
春と秋にあるお彼岸に漢字を分けて牡丹餅とお萩と言うのは、漢字文化の日本ならではの美しさかも知れない。

母の手作りの大きな牡丹餅の忘れられない思い出、母を手伝い共に丸めた大きなお萩。
風物詩であるが、今では1年を通じていつでも食べられるようになって、何かあの頃の母と作った楽しい思い出のほうがよかったなあと思うもの。
母から娘に繋いでいく文化だと思うけれど、今ではホームメイドではなく、お店で買うものになってしまった。

母の思い出の大きな牡丹餅の話を娘にしたら、東京のお婆ちゃんも良く作ってくれたけど、今お母さんは作ってくれない〜と言われてしまった。
私はきな粉が好きよ〜と言う。
私の母と義母は1つ違いで明治の生まれ。同じように大きなお萩を作った。

明治生まれの母親たちは皆大きなお萩をつくったのかなあ。
確かその季節には主食だったような気がする。おはぎとお澄ましとお新香の食膳を思い出す。
今ではお萩はお菓子になっている。お茶とお菓子の組み合わせ。塩昆布があったらもっと良いかな。

昨日まで我慢をして居たが、やはり欲望には負けて娘とお買い物をして娘がワインを選んでいる間にそっと買い物かごの中に小さな牡丹餅を忍ばせておいた。
お支払いの時、なあんだやはり買ったの?

でも夜、明日にしましょう。ドクターストップでしょ。なかなか厳しい。
ランチもカロリーオーバーだったし、夜は抜きにしましょうと思ったけれど、衝動買いをしてしまった夫の好物クリームパンを食べてしまった。
娘はびっくり。まあ食べてしまったの?

テレビを見ている時もCDは流れて居てモリコーネの“ガブリエルのオーボエ”。
なんと素敵な〜〜。


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