感慨無量!
2022.8.30(火)
今朝のお目覚めの名曲はチェロとピアノで、ドボルザークの"我が母の教え給いし歌"。
ドボルザークが愛する母を想い、凡そ50余年に亘る母への感謝を込めて作った名曲だと聞いた。
実に素晴らしいメロディ、愛に溢れた感謝の曲。何時もしっとりと聴く。
今、自分が歳を重ねてやがて齢80歳近くなり、重ねて来た年齢を振り返ると、無性に我が母の事に想いを馳せる。
若い頃とは違う感謝の気持ち、懐かしさが泉の様に溢れて来る。
幼い時、また成長した若い頃は、極当たり前の様に母に甘え、感謝の気持を今ほど抱いては居なかった。
我儘し放題、喜びも憎しみも母だから〜。
全て許され、愛されて当たり前だと思って居なかったか。
至らなかった私。母だからこんな私でも何時も暖かく包み込んで愛してくれた。
居なくなって初めて知る親の恩、母の愛を感じる。
親孝行したいと思う時親はなしと言う。
正にその通りだと、今思う。
自分が母親になり、母のありがたみが分かった。
私は専業主婦では無かったから、子供を育てる事の大変さは格別であった。
最初の数年は同居していた母の全面的な支えがあってこそ、仕事と家事育児の両立が出来た。
母亡き後は夫の支えがあって何とか乗り越えて来れた。
1人では何も出来ない依存性の強い私だったな。
這えば立て、立てば歩めの親心と言うが、早く大きくなって
手が掛からなくなる様に、いつも到達闘争をして来た様な気がする。
子育ては我が子だからこそ、可愛いくて、何があっても親としての愛情で包み込んで必死に守り育てて来れた。
愛おしいと言う気持ちと親としての義務感で育てて来た様な。
専業主婦だったらまた愛情の掛け方は違ったかも知れない。
ドボルザークの母に対する想いは如何程だったのだろうと思う。
この曲を聴いて居ると、母を想う優しさ、穏やかさが漂っていると思う。
彼の母の様にはなれなかった私を今反省している。
時代に逆行する様だけど、共働きか専業主婦か、今になって何方が良かったのかなあと思わないでもない。
でも共に働き、生活を守らなければならなかった。
今日は娘の誕生日。あの日の事の思い出を1人感慨深くたぐっていた。
初めての出産でふあんだったけど、母がそばにいてくれて幸いだった。
早期破水で直ぐ夫の車で入院。
暑い日だった。
当時沼津市立病院にはエアコンが無く、首には汗疹がいっぱい。
看護婦さん達に叱られた。
しっかりして、お母さんになるのよ。
産声を聞いて感動した。
産まれるまでの痛みはすっかり癒えて、全て忘れた。
3日目からベッドサイドに来た我が子。
2700グラムで小さかった。
抱く事は出来ても、オムツ替えが怖くて触れなかった。
結局退院後半年くらい細くて壊れそうな足に触れず、母に頼った。
当然沐浴も全て母の仕事。
私は産後43日目から出勤した。
甘えん坊の私は、幾つになっても、結婚しても母が頼りだった。
誕生日でも娘の帰りは遅い。
待つ間、録画て、井上靖の"我が母の記"を見て涙を流していた。
何回見ただろう。その都度滂沱の涙。
遅くに帰宅した娘と交わすシャンパングラス!
彼女の好きなトップスのチョコレートケーキは自分で買って来た。
細やかだけど楽しいバースデー。
誕生の時の事を色々聞かれた。
女の子で良かった?
お父さんは?おばあちゃんは?
一姫二太郎が一番良いのよ。
一緒に住む様になって、初めてしみじみと語りあった。
私は母親になっても、私の母ほどにはなれなかった。
我が母は偉大だった。流石明治生まれの母だった。
昨日も涼しかったが、今日も23℃くらいかな、雨が降っだけど、頼まれた買い物を買いに出たついでに、近いので整形外科に。低周波を掛けて貰うと気持が良い。
明日は気温33℃になるらしい。
熱中症に気をつけるようにとテレビで。
この気温の変化についていくのは大変。
台風11号はかなり強いらしい。
お休み前の音楽はチェロとピアノで日野原先生のお好きだったと言う讃美歌で、"スピリットソング"。
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